前回のこの記事の続きです。↓
1歳半健診で指さしと積み木ができない&要観察になる。検査項目や服装について - はやぶさCOFFEE
ですが、なんだか最後の方は、頑張って書きすぎて全然面白みのないクソ真面目な記事になっております( ;∀;)例によってかなり長文になってしまったので、お暇な方はお付き合いください。
要観察になったけれど落ち込んでいない理由
今回、ややショックはあったけれど、今までの健診の中で一番「落ち込まずに」すみました。
どうしてだろうと考えたのですが、個別相談で担当してくださった栄養士さんと臨床心理士さんが、とても良い方で、私に合っていたからだったのかなと思います。
栄養士さんは、私が未だ野菜ジュースを与えることをやめられずにいたのを、頭ごなしに「野菜ジュースは繊維が無いから」「美味しいとわかるとそれ以外飲まなくなるから」「栄養だけじゃなく食感も大事」と育児書に書いてあることをそのまま言うような人ではなく、
どうして「与えることをやめられないのか?」、という私の心の根底にあるものを、いろいろな質問でちゃんと引き出してくれました。
その結果「(野菜をたくさん食べてくれないパンくんの)野菜不足が心配だから」という私の育児不安引き出してくれて、
「お味噌汁の具を食べるんなら、大丈夫よ、そのうち食べるようになるから。『今日野菜食べてない!野菜ジュース!』じゃなくて2,3日のスパンで考えても全然大丈夫。」
と頭でっかちな私の気を、楽にしてくれるような助言をしてくれました(;_:)
臨床心理士さんも、個別の部屋に通された時、席に着くなりまず
「新生児仮死だったんだね、本当に大変だったね、よくここまでがんばったよ。」
と言ってくれました。
自分でもまさか、と思ってしまったのですが、言われた瞬間にドバ――っと涙が。笑
びっくり。もう完全に、出産の怖さとか不安とか辛かったこととか全部癒えていたと思っていたのに。
でも泣けるということは、心が解放されたも同然というか・・・
想定外に個別の部屋に通されて、緊張やら不安やらでカチコチになった頭が柔らかくなりました。
そして、「指差し」テストが意味することを、頭でっかちな私がちゃんと理解できるように教えてくれました。
指さしにも、いろんな指さしがある
知っている方もいるかもしれませんが、
指差しには大きく分けて「要求の指差し」と「叙述の指差し」があります。
要求の指差し、は分かりやすいですね
「あれとって!」
「これ触りたい!」
「これ食べたい!」
「あっち行きたい!!!」
などです。この要求の指差しは、比較的早い段階で出てくると言われています。
一方、叙述の指差しとは???
まず叙述とは・・・
物事について述べること(他者に伝えること)
という意味です。
つまり
叙述の指差しとは、言い換えると
他者に何かを伝えるための指差しです。(「物の要求」以外で)
私は、この叙述の指差しを、叙述=共感の指差しだと思っていて
「ワンワンいたよ!」とでも言いたげに犬を見たら私の方を振り向くパンくんを見て「指はささないけれど、ちゃんと共感を求めるってこと、この子できてるよね、だから叙述の指差しOK!」と思っていました。
もちろん「共感の指差し」というのも叙述の指差しに含まれるのですが、
叙述の指差しには、他の種類の指差しも含まれるのです。
共感の指差し
応答・報告の指差し
「応答」「報告」の指差し。
質問に対して、答える指差し・・・
・・・・・こ、これってまさに「ワンワンどーれ??」テストですやん!!!
共感の指差しは、感動の指差しとも言われていて
電車が通った時に、「あ!」と驚いた声を出して指を差して、そのあと養育者の方を見て共感を求めるというのがよくあるパターンです。
これは共感を求めているようで、やや一方的な側面があります。
一方、応答・報告の指差しは、
・親の質問をちゃんと聞いている
・親の質問の内容を理解している
・親の期待に応える(求めていることがわかる)
・6つの絵のうち、「ワンワン」が分かる(カテゴリー分別ができる・般化できる)
という、共感の指差しよりも、より高度なコミュニケーションが求められるのです。
発達障害や自閉症との関係
自閉症はコミュニケーションの障害と言われていますが、
のちに自閉症と診断される方の多くが、この「ワンワンどーれ」テストで求められる「応答・報告の指差し」を獲得しにくい、と言われています。
ですが、心理士さんに
「この指差しテストができないことで、どんな障害を持っているかが今の時点で推測できるんですか?」と聞いたときの回答は
「今の時点ではわからない」
というものでした。
一歳半健診と、三歳健診で「○○障害だ」と断定することはできないそうです。
一歳半健診で「要観察」児を出す意味
これからする話は、人から聞いた話なので、絶対そう!とは言えないのですが・・・・
健診で「何も言われない人」と「要観察と言われる人」とふるいにかけられてしまうと、
「要観察」と言われた側は
「うちの子は普通と違うのか?」
「うちの子は障害があるんだろうか?」と心配になるのは当然だと思います。
もちろん私もそうです。
私の友人も、小学校就学前診断で「言葉の発達の遅れ」を指摘されて、ずっと気にしていたけれど、結局言語障害はなかったという話も聞きました。
健診における「ふるい」の目(ザルの穴)は結構大きいんだと思います。
「のちに発達障害と診断される方の多くが、1歳半健診や3歳健診で要観察であった」という傾向はあれど
その裏には、「1歳半健診や3歳健診で要観察になったけれども、定型に発達したという例」も本当に多くあるのだと思います。
そしてそのふるいの目を大きくしておく理由は
「障害を持つ子とその親を早期発見できず、必要なケアができなかったために、二次障害が発生すること」を防ぐため
なのだそうです。
二次障害とは、
子どもの育てにくさに親の方が育児ノイローゼになってしまったり
適切な人に相談できずに一人で抱え込んでしまったり
そういった親の不安が、虐待や、過度な矯正教育につながること、
またそれによって引き起こされる子ども自身の不安や防衛行動といったもののことです。
実際我が子が要観察になったことで、勉強になったと思う
でも「二次障害を防ぐためのケア」って、障害の有無にかかわらず
「他の子と比べて、うちは・・・」と思ってしまうことって親なら、何度もあることだし
すべての親にとって必要なケアだよなぁって書きながら思いました。
特に私みたいな
頭でゴチャゴチャ考えるタイプは、なおさらかな、と(>_<)
心理士さんと話した結果、「3か月後にまた様子見させてもらえないかな?」と言われ、仕事復帰後の平日ではありますが、
一応行くことにして予約もしました。
パンくんが要観察になったこと自体は、ドヤって健診に来た私には寝耳に水で、ショックな気持ちがなかったかというとウソになるけれど
「要観察になったことで、専門家に育児相談できる機会を得た」と思うことにしよう、と決めたのでした。
っていうかさ、
新生児仮死で、全身紫色で産声あげずに生まれてきた時
毎日保育器にいる我が子を不安な顔で見つめていたNICUを退院した時
「生きていてくれればいい」って思ったのは、母親として今よりずっと未熟な私だったわけで。そのころの自分を見習い直さなきゃな、と思いました。
親は欲深い生き物ですね。笑
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おしゃぶりを卒業して半年。歯固めと化したおしゃぶりくん。
今日書いた指差しの話は、心理士さんの話に加え、以下の本で勉強したことも書きました。「よくわかる言語発達 (やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)」は、幼児の言語発達から、バイリンガルはどのように言語を獲得していくのか、という英語教育に関わる部分まで、優しく書かれていたので興味ある方にはオススメです(*´ω`)
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