今回の記事は、ひたすら反省の元、今後同じことを繰り返さないため、自戒のために書き記しておこうと思います。
これを書いたら本当にダメ母認定されてしまうな、と思いつつ、ダメ母な私は、こんなに痛い思いをしておきながら、きっと3年後には記憶が薄れていってしまっていると思う(だからダメなんだ)ので、今後のためにちゃんと書いておくことにしました。
たった10分。されど10分という、時間の長さ
時間感覚の記憶があいまいなのですが、おそらく息子を最後に目で見てから、再度発見するまでの間は、10~15分弱だったと思います。
でももしかしたら、それ以下かもしれないし、それ以上かもしれない。
けれど私自身の体感的には、10分をはるかに超えていて、再度息子を発見して抱きしめたときには、もう何日もあっていないかのようなぬくもりと重さを感じました。
行方不明までの流れ
我が家のお散歩コースはさまざまな種類があるのですが、この日はそのコースの中でもあまり行ったことのないコースを歩きました。
そして、存在は知りつつも今まで使ったことのなかった公園で、初めてパンくんを遊ばせました。
なぜその公園で遊ばせたことがなかったかというと、行く時間の関係か、いつも必ずたくさんの小学生がいたからです。
ですが、今日はたまたまそういう時間だったのか、公園はおろか周りにも誰一人いなかったので、パンくんをそこで遊ばせることにしました。
わかりにくいので今回は雑ながら、絵も描きました。
公園でベビーカーから降ろしたものの、パンくんは公園にはほとんど目もくれず、公園のとなりにある集合アパート棟に興味深々。
その視線の先には、最近パンくんが愛してやまない段差ステップがあったのです。
少しの段差のところにスロープ代わりに置くものです。
パンくん、これが本当に好きで、近所の公民館の入り口にもあるのですが、20往復(あがったりさがったり)してやっと飽きて、公民館の中に入ってくれる。それくらい好きなんです。
それがアパート棟の出入り口にあって、本来ならマナーとして、住民でない私たちがそこで遊ぶのはいけないんだと思いますが、
そこで夢中のパンくんを担ぎ上げて隣の公園に戻しても、絶対また段差ステップに戻ってしまうし、泣きわめくパンくんを再度ベビーカーに乗せて縛り付けるしか、そこを去る手段がないかと思うと、
時刻は夕方16時半くらい。周りには全く人もいないし、段差ステップは出入り口であり、住居スペースではないから、少しくらい多めに見てもらえないかな、10分くらい経ったら連れて帰ろう、と思いながら見ていました。
予想通り、何回も何回も段差ステップを上がったり下がったりして、
転ばずに降りれたら、自分で手をたたいてパチパチ、自画自賛。
パンくん、すごく幸せそうでした。
20往復弱して、やっと飽きてくれた、と思ったがつかの間、今度は
ステップをのぼってやや壁側の、くぼんだ空間にハマってしまったよう。
少し覗くと、どうやら壁の柱にまかれた針金がカチカチ動くのが気になるようで、指でカチカチさせていました(壊れる心配のないものでした。)
今度はそっちか、と思いつつ、止めることなくそのままにしてしまいました。
とはいえ、大人の私まで、アパート棟の段差ステップより中に侵入するのは、さすがによくないな、と思い、段差ステップは見えるけれど、パンくんのいる、くぼんだ空間までは見えない位置で待っていました。
カチカチ…と針金が動く、かすかな音を聞きながら、
「たくさん歩いてほしかったから、公園で降ろしたのに、公園では遊びそうにないな」とか
「本当にパンくんは、なんでもかんでも夢中になってしまうなぁ」と思っていました。
そして、
先日、友人親子(パンくんとほぼ同じ月齢)にあったとき、どっかに歩いて行ってしまいそうになる子どもに対して「○○君そっち行かないで! じゃぁいいよママこっち行っちゃうからね、バイバーイ」と手を振ると、行かないで!とでも言いたげに、泣き顔で友人のところにもどってきた子どもちゃんの姿を思い出しながら
「パンくんは、いつでも私との離れ具合関係なく好奇心のままにどっか行ってしまうなぁ…大丈夫なんだろうか。っていうか今も私の姿見えないはずなのに、全然不安にならないんだなぁ・・・はぁ」などと思っていました。
パンくんが、私の友人らの子に比べて(といっても数は少ないのですが)外出すると、好奇心のままに、後ろを振り返らず飛んで行ってしまうことは前から気になっていました。歩き始めの男の子なんて、こんなものなのかな。。。。
そんなことをボンヤリ考えながら、パンくんがいる空間を、壁越しに見つめていました。
気づくと、針金のカチカチする音が聞こえなくなってきました。
さすがにそろそろアパート棟から連れ出そう、と思い、「そろそろ帰るよー」と、段差ステップを上って、パンくんのいる空間をのぞきました。
そこに居るはずの、ユニクロの白いダウンを着たパンくんが、いませんでした。
頭を金づちで殴られたような気になりました。
いるはずだと思って壁越しに見つめていた空間に、いるはずの息子がいなかったのです。
でも、すぐには緊急のことだとは思わず、
「階段、あがっちゃったのかー!(>_<)」と思い、急いで階段をのぼりました。
3階まで駆け上ったのですが、パンくんはいませんでした。
半ば心臓がドクドクし始め、焦りながら、戻って2階の通路を見ました。パンくんは長い廊下などの通路も好きなんです。
いませんでした。
急いで1階に戻り、
もしかしたら、ずっと1階を見つめていたけれど、見逃して1階の居住通路に入ってしまったのだろうか、と1階の、長い長い居住通路を走りました。
どこにもいませんでした。
このあたりで、もう、わけがわからなくなってきて
ほとんどパニックになっています。記憶も曖昧です。
探せる範囲をすべて探しても、いないのですから。
1歳の子どもが、さっきまでいたのに、いなくなってしまった、
その感覚がうまく文章で伝えられないのですが、
怖いとか、泣きたい、とか、どうしよう、とかではなく、ひたすら「無」なんです。
さっきまで一緒にいた我が子が、神隠しのようにいなくなってしまった、という事実をまったく脳が受け止めきれていなくて、なんの感情もわかずにただただ頭がパンクしていました。
パニックになると、人は可笑しなことを考えてしまうようで
いま覚えていることは、短い間に様々なことがバーーーっと脳内を駆け巡ったということです。
- 「いなくなったと思っている」今現在のほうが嘘で、さっき自分がいた場所に戻ったら、パンくんも戻っているかもしれない(というドラえもんに出てくるようなことを思って、しかも本当にやってしまう)
- 1階の住人がパンくんを誘拐した、それしかあり得ない、と本気で思う
- 隣の棟で、ベランダ掃除していた人がいたから、その人なら何か目撃したかもしれない、その人に話を聞きにいった方が早いのかもしれない、と本気で思う
- 「あのお母さんバカだなー、目を離すからだよ」という誰かの声が聞こえる
ほんと、おかしいですよね・・・・
しかも、パニックになりすぎて、私、声が出なくなってしまったんです。
ドラマや映画のように「○○くーん!どこー!!!」とパンくんの本名を、大声を叫びたかったのに、出そうと口を開けても、全く声が出せませんでした。
無言で、誰の声もしない、なんの音もしない、ひと気のない、アパート棟の廊下を猛ダッシュして探していました。
ふと
冷静に考えて、変だぞと思ったことは(冷静ではなかったのですが、そのなかでもやっとまともに考えられたことは)パンくんの声が、泣き声も含めていっさい聞こえない・聞こえなかったということでした。
それをしっかり認識したときには、もっと頭が真っ白になり
パンくんは1階で、口をいきなり塞がれて、部屋に連れ込まれたのかもしれない、と本気で思いました。
もう打つ手が無くなってしまい、
1階の部屋を端からピンポンするか、夫に連絡するか、両親に連絡するか、瞬時に迷いました。
でも夫や両親に電話をすることは何も意味を成さない、と思い、警察に電話をかけようと、一生懸命、動かない手とフリーズした頭でスマホを出そうとしたとき・・・
「ふぇーん・・・」
とパンくんの小さな声が、どこからかしました。
上からでした。
伸びきったゴムが切れたかのように、私の身体に衝撃が走り、ひたすら階段を駆け上りました。
さっき見たのは3階の階段まで。
たくさん上りました。
「本当に上から聞こえたんだろうか???」不安になりながら
全速力で階段をのぼっている最中、このアパート棟がカナリ上層階まであることを、このとき初めて知りました。パニックは恐ろしいものです、そこで初めて認識したんです。
殆ど記憶があいまいなのですが、おそらく、6~7階の階段あたりで、
降りようにも降りられなくて困っているパンくんがいました。(パンくん、階段はのぼれるのですが、怖くて降りられないのです。)
「なんでこんなところまで上ってしまったの・・・」
我が子は、歩くようになってから、階段は積極的に上ろうとしなくなっていました(ハイハイでしか上れないので)。
まさかこんな6階、7階まで、各階に踊り場があるので12個分の階段をパンくんが無言で登り続けていたなんて、まったく思いつきもしなかったのです。
もしかしたら、パンくんも途中で、わけわからなくなって、
のぼり続ければ、お母さんに会える、と思ったのかもしれません。(下に私がいることを忘れて)
ただひたすらに猛省の帰り道。
パンくんを無事見つけた私は、
「安心して腰が抜ける」とか「緊張がほどけて涙が出てくる」とか「息子をめいいっぱい抱きしめる」とかではなく、まだパニックを引きずっていました。
「この子を抱っこして、ベビーカーに乗せなきゃ」頭に浮かんだ、ただそれだけを頼りに、機械的に動きました。
パンくんをベビーカーに乗せて、家に帰るときも、頭が正常に機能していない感じだったので、どうにか気持ちを落ち着かせて車に気をつけながら帰りました。
今まで、「できるだけパンくんが夢中になっているときには邪魔したくない」
「運動発達が遅かった分、自由に歩かせてあげたい」
「あまり、神経質になって子どもの自主性を妨げたくない」
と思って、人に迷惑にならない範囲で、自由にやらせてきたところがあります。
でも、それって、安全が確保されているうえでの話ですよね。
そして、パンくんはまだ1歳なんです。
なぜ目を話したのか。(しかも今回の場合、あえて本人の見えない・本人からも見えない位置にいた)
なぜ見守っていなかったのか。
上述した、友達親子の話含め「パンくんは、私の姿が見えなくなっても平気なのだろうか? いつ私の存在を思い出すんだろうか?」という疑問を試したいイタズラ心もあったのかもしれません…。
今回のことは、
私の脳内パニックの大きさでいうと、今まで生きてきた中で最高レベルのものでしたが、パンくんはケロっとしていて、特に誰かに迷惑をかけたわけでも、ケガをさせたわけでもありません。
でも何かがちょっとでも違っていたら
大事故、大事件になっていたかもしれないのです。
ヒヤリ・ハットとして、認識する。記録しておく。
ヒヤリ・ハットとは
ヒヤリ・ハットとは、重大な災害や事故には至らないものの、直結してもおかしくない一歩手前の事例の発見をいう。文字通り、「突発的な事象やミスにヒヤリとしたり、ハッとしたりするもの」である。
ヒヤリ・ハットは、結果として事故に至らなかったものであるので、見過ごされてしまうことが多い。すなわち「ああよかった」と、直ぐに忘れがちになってしまうものである。
しかし、重大な事故が発生した際には、その前に多くのヒヤリ・ハットが潜んでいる可能性があり、ヒヤリ・ハットの事例を集めることで重大な災害や事故を予防することができる。
私の以前の職場では「ヒヤリ・ハット」をものすごく大切にしていました。
入職したばかりのころは、その大切さを理解しつつも、あまりにも多くの時間を割き、しっかり反省会議のようなものを行うので、心のどこかで「そんなに大ごとにしなくても…。故意じゃなかったのに本人(ヒヤリハットを起こした)が可愛そう」などと、思っているところがありました。
でも、自分が今回初めて、ヒヤリ、やハッ どころではない、それ以上の恐怖を経験して、それでも「大ごとにならなかった安心感」から、忘れてしまう可能性も感じたので、記録することにしました。
本当に、あんな気持ち、あんなパニックはもう懲り懲りです。
でも、人の親である以上これから先、今回にも勝る事故や事件があるのかもしれません。
どんな育児をしたっていいでしょう、でもそれは「最低限の安全が保障されたうえで」なのだと思います。
1歳から目を離していた私は、そこへの意識が欠落していました。
長々とした反省文をここまで読んでくださり、ありがとうございました。
ブログに書き留めるだけでなく、きちんと頭の中で整理して反省したいと思います。
※注目記事※
(公開日追記):やっぱり何か危ないことが起きた日には、ブログにでも何にでも記録しておくことは大事だなと思いました。ずっと下書きフォルダにあった記事でしたが、今回公開するにあたって自分で読み直したら、やっぱり記憶が弱くなっている部分がありました。
私みたいな、子どもから目を離す親御さんは読者さんの中にはいないかと思いますが、ネタでも何でも参考になったら幸いです( ;∀;)