「かわいそう」
と
「がんばれ、きみならできる!」
って結構同じ場面で使える気がするので、
パンくんに対して
「(泣いてて)かわいそう」
「かわいそうだから~~しなきゃ」って思ってしまう時には
意識して
パンくんの力を信じて
「頑張れ、ここは試練だ!」
「見守ってるから5分だけ耐えてみな~、パンくんなら頑張れるよ」
と変換して考えるときがあります。(すべての場面においてではないですが)
たとえばシャワーのお湯が顔にかかって泣いているとき(ただいま特訓中)
たとえば料理の際の音(ミキサー)が怖くて泣いているとき(これは慣れていただきたい)
たとえばお座りの姿勢から前のめりに転んでしまって、どうしていいかわからず泣いているとき(少しほっといたら彼はどうするんだろう?と様子見)
「うわーーーん」と泣いていると
ついすぐに手を出して助けたくなっちゃうし
泣かせていると「ごめんね、」と口走ってしまう。
でも赤ちゃんってすごいな~、
パンくん成長しているなぁ~~って思うのが
8ヶ月が近づいてきた今
泣いても誰も助けにきてくれないと、なんとか自分で改善しようとするときがあります。
もちろん「泣き続ける」という手を使うことも。
ついつい、すぐに「ママが助けてあげるよ~」的な感じで
条件反射で手を差し伸べたくなってしまいますが、
一呼吸置いて、
ちょっと待ってみたり、時間を決めて様子をみたり
慣れてほしいときには回数を重ねて見たり
やっぱりここはすぐに手を貸したほうがいい!と思ったときにはすぐ助けたり
選択するようにしたら
ちょこっと、行動に余裕がでてきました。
大人にも同じことが言える気がするのですが、
ブログ村を通して、月齢の同じ赤ちゃんをもつママさん方のブログを見ながら
「自分はかわいそうだ(この状況はおかしい!文句いってもいいはず!)」と
思って良いであろう場面でも
「がんばらなきゃ、ママなら出来て当然、(育休中なら)我慢して当然」
と思っている方が多い気がしました。
私は若干フェミニストというか、専業であれ、兼業であれ、育休中であれ、育児は夫婦でするもの!とか、男女平等!とか思ってしまう性格なので
そういう頑張り屋さんの素敵ママのブログを見ていると
その旦那さんに「くぉら!!!こんなにがんばってるママさんに対して、お前は何しとんじゃぁ~~~!」
とパソコン越しに言いたくなるときがあります。(おせっかいおばさんです。)
もちろん自分も然り。ついつい思ってしまう「がんばれ、私ならできる(できて当然)」は、
時に、自分にパワーをくれる言葉であり
時に、自分を追い込む言葉でもあるな~と感じます。
か弱い(ように見える)赤ちゃんと一緒に過ごしていると
保護者である自分が「やらなきゃ」「がんばらなきゃ」と
なってしまいますが
月齢の上がってきたパンくん、
彼の力を信じること
パパレベルが上がってきた夫、
彼の力を信じること
という名目で
それぞれ、ちょっとずつ頑張る場面を増やしていってもらいたいな~
そして私も(本当に)頑張るべきところはちゃんと頑張ろう!
と思ったのでした…料理とかね。
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