小さい頃の記憶はあまりないのですが
父も母もバリバリ働く人間だったので
0歳から保育園に入り、
小学生も最後の数人になるまで学童保育にいるような子でした。
以前の記事にも書いた通り、
両親の帰宅までの時間、友達の家で預かってもらうこともザラだったし
そのため、友達のお母さんに作ってもらった夕食を、友達家族と一緒に食べた記憶も多いです。
そのためかなんなのか、今も
人見知りは全くしないし
相手がどんな立場の人であっても臆さないところがあります。
人の好意に甘えることに、全く抵抗がなく、その性格ゆえなのか、気づいたら助けてもらえる、ということが多い。
ネガティブな側面を言うとしたら
人の顔色を伺う性格は染み付き
外面はカナリ良くなりました。
あと、所属している集団に対して、常に冷めた気持ちで見てしまうところがあります。。。
外面が良いところは、良さでもありますが
中身の本質は、めんどくさがりやでなまけもののクソな人間なので
結果的に真面目系クズという人格になりました。笑
真面目系クズとは
最初の印象はよく、周囲から期待されるが、だんだんボロが出て人が離れていく。ひとことで言うと「エヴァのシンジの悪いところだけ集めた感じ」のクズ。
はてなキーワードより引用。
転校2回の小学校生活
小学校は普通の公立の小学校に行きました。
しかし、他と違うところを挙げるとしたら、転校を2回していること。
2回とも親の都合での転校でした。
今は、転勤族とか多くて、転校は珍しいことでないのかもしれませんが
私が小学生だったころ、2回以上転校している友達は、私のまわりには居ませんでした。
転校から学ぶことはただ一つ。
空気を読む技術の獲得です。
特に小学校高学年の時の転校は
1回目の低学年転校に比べ、カナリ難易度が高かったです。
小学校の高学年女子って、怖いですよ。賢いですよ。ずるがしこいですよ。
すでにカーストの形成された見知らぬ集団の中に、たった一人で新規参入するだけでも大きなストレスなのに、
皆「転校生」というワードへの期待が高く、
その大きいな期待や妄想には全く届かないので
基本的にマイナスからのスタートになるのです( ;∀;)
結果的に、高学年の転校先ではあまりいい思い出がありません。
いじめと中学受験
一生懸命空気を読んで、嫌われないように、1日も早く溶け込めるように
頑張っていましたが、、、
高学年の転校先で、女子らしいイジメに合いました。
割と苦しかったです。
そのイジメが落ち着いて、表面上は仲良しこよしに戻っても
私の中では卒業式まで、ずーーーーっと不信感がありました。
卒業式の日の午後に、家の庭で、悪口がビッチリ書かれた手紙を、一人ひっそりと燃やしたことを覚えています。
「何かヘマをしたら嫌われる、無視される」
小学校6年生の時も、気が抜けませんでした。
そんなときに両親から、中学受験の話を持ち掛けられ
飛びつくように「受験したい!!」と言ったのを覚えています。
両親は、私に中学受験を勧めるのに葛藤があったようですが、
私に迷いはありませんでした。
このまま普通に地元の中学校に進んだら、
エスカレーター的に、今の小学校と全く変わらないメンバー。
正直、全く希望が持てませんでした。
付属中学、真面目からの解放。
受験した大学の付属中学校は晴れて合格。
中学校は、楽しかったです。
あのとき、迷いながらも中学受験を勧めてくれ、
家から遠い場所への通学、そして毎日のお弁当など、私の中学校生活を支えてくれた両親には感謝しかありません。
勉強は面白かったし、
なによりも救いだったのが、「真面目からの解放」です。
小学校では、学年トップの成績で、○○委員長だとか、クラスのみんなが嫌がるような仕事を先生から頼まれていた私。
受験した中学では、
私より成績のいい人は沢山いて、
私よりしっかりした人は山のようにいて
私は、一気にフツ――――のポジションになり
いや、むしろ普通以下の生徒になりました。
今まで真面目キャラで生きてきた私は
自分の価値が見いだせなくなり、
典型的な不良少女の思考ですが
進学校の不良キャラとなり、そこで生き生きとしだしました。
はい、思春期ですね(恥ずかしい)
でも、楽しかったです。
真面目でない自分を、
解放しきれる自分を、どこかで、誰かに、認めてほしかったのかもしれません。
それを引き出してくれたのも、認めてくれたのも、一緒に励まし合ったのも、
一人の友人。
その友人とは今でも親友でいます。
・・・・・つづく。笑
→つづき:今更、自己紹介的な。②~高校受験の話~ - はやぶさCOFFEE
しばらく、この話題で投稿します~(*´ω`)自分語りですみませんが
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