『出産・子育て』と、『退職』が私を変えてくれたと改めて思う。

夫に「平成生まれだと、平成が終わるのはやっぱり寂しいの?」と聞かれました。どうも平成生まれのマキロです。

格別寂しいということはないのだけれど、自分の生きた時代の象徴である「平成」が終わるその年に、わたし、過去最高に精神が安定しています。それが本当によかったな、と感じることはここ最近思っていることでした。

 

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子供のころから「不安そうな子」だった。

子供(小学生)の頃のアルバムを見ると、家ではニコニコ元気なんですけど、学校や行事の写真がなんだかいつも不安そうな顔をしているんですよね。

中学校、高校も、楽しかった記憶はとてもあるんだけれど、受験や環境の変化の際の「不安」がすごく強かったり、不安症な性格なのに、何かの「長」を任されることはなぜか多くて、その大役に、不安になることが多かったように思います。

 

受験や環境の変化は誰だって「不安」になるし、それが他の人と比べて強かったかどうかはわからないけれど、

たとえば(生徒にすべてを任せる校風の学校で)文化祭の実行委員長を任されて、その重圧がすごすぎて、ある時期は本気で死にたいと思っていた記憶とか、文化祭当日は39度近い熱を出してフラフラで登校したこととか思い出すと、やっぱり「不安」強めな性格だったのかなぁ。。と思ったり…。

 

親から

「(失敗したって)命取られることはないんだから」

と言われて、そのたび「大丈夫大丈夫」と自分に言い聞かせた記憶も複数回ある。

 

子供が私にくれた「無償の愛」

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地に足がついた、やっと強くなれた実感を持てた、と感じたのは第一子パン君を出産した1年後くらい。

子育てが私を強くした、というのは「理不尽さに耐える」とか「宇宙人みたいな新生児と生きる」とかそういう体育会系な部分もあったけれど、「不安」が強かった心を強くしてくれたのは、紛れもなくパン君が私にくれる「無償の愛」でした。

 

きっと私自身も生まれた頃から、親からの「無償の愛」を受けていたのかもしれないけれど、子供の立場からだと「親の愛」ってストレートに受け止めにくいじゃないですか。それが「無条件の愛」であると素直に思えず、だからこそ親に喜んでもらおうと頑張るし、親に褒めてもらえるように必死に生きる。

 

褒めてもらえると嬉しくて、「自分が〇〇を頑張ったから」と勝手に方程式をつくって、さらに頑張ろうとする。

「無償の愛」って出してる側がそう思っていても、受け止める側が正しく受け止めていなきゃ伝わらないですよね。

 

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でも乳児幼児期のパン君からの愛は、「毎日ごはんを作ってくれるからお母さんが好き」とか「おもちゃ買ってくれるからお母さんが好き」とかいうメッセージには一切感じず、生まれてきた時から、この子は「ただ私が私である」ってだけで求めてくれる。それを肌で感じて、24時間毎日毎日一緒に過ごしていく中で私の心を強くしてくれました。

 

「退職」の経験が、“変わらない愛”を教えてくれた。

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「退職」にまつわる記事はいくつか書いてあるのですが、一言で言うと「長年ずっと抱えてきた荷物を、でもこの荷物を投げ捨ててしまったら、自分が自分で無くなるんじゃないか、という不安にまみれながら、半ば勢いでエイヤッと投げ捨てた経験」でした。(全然一言じゃなーいw)

その仕事になるべくしてなった、みたいなヒストリーが若干あって、大学もその学問に特化した学科・専攻で専門的に学ばせてもらったし、

その仕事を捨てる=私の(社会的な)存在価値を捨てる

みたいに捉えてた部分もあったんだと思います。

 

でも、辞めた後に、自分が最も大切にしている

  • 両親
  • 友人たち

との関係は何も変わらなかった。変わるんじゃないか?というのが不安の一つだったのだけれど…。

むしろ「辞めたい辞めたいツライツライ!」みたいな被害者意識や私の変なこだわりが無くなって、大切な人をより大切にしようと思えた。

変わってしまうかも…と思っていた周りの人たちは変わらなくて、むしろ変わったのは自分自身でした。しかも良い方向に。

 

仕事を捨てる=私の(社会的な)存在価値を捨てる

ではなく

仕事を捨てる=肩書きのない私の存在価値を知る

機会になりました。

あと、「人のためになる仕事についてほしい」という子供の頃に聞いた親の願いが、いつしか「人のためになる仕事についていないと私は認めてもらえない」みたいな感じに脳内変換されていました。前職は分かりやすく「人のためになる仕事」っぽい仕事だったから、それを捨てる自分は薄情な人間になってしまう、と思っていた部分もあるかも…。

でも誰も「薄情なやつだ」って言わなかったよ。

 

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不安な私と、「大切なもの」を捨てる経験

「辞めたい辞めたい!!ツライツライ!」と思っていても、それでも私にとって「仕事」は大切なものでした。そしてこれからも「仕事」は自分のアイデンティティを確立してくれるものだと思っている…。

 

その大切なものをバサッと捨てるのはすごく勇気が必要でした。

でも、だからこそ、自分で決めて、自分で手放した経験は、もう、超ビックに私を変えてくれました。

前の仕事を辞めてもうすぐ1年。

この1年、「意味不明に涙がボロボロ出てくる」とか、「不安で不安で気持ち悪くなったり、眠れなくなること」が一度もありませんでした。そういや過食もしなかったよ!!( ゚Д゚)今気づいた…。

 

不安や緊張を抱えやすい人にとって、カナリ勇気がいるけれど「一度、自分のとても大切な、けれど手放したいものを思い切って手放す経験」ってもっっのすごく大切なのかもしれません。

 

「すごく重要で心を占めるものだったけれど、手放したらそうでもなかった」とか「案外大丈夫だった」とか「強く不安に思っていたことは、超えてしまえば大したことなかった」とか

そういう実感をもった経験が、自分を強くしてくれるのだと思います。

 

 

ずっと「人の期待に応えられる自分でありたい」で居続けると、いろんな選択が「人の期待に応えたい」ものになっちゃう。

結果、何か重要な役割を任されるたびに、「期待に応えられるだろうか…」と過度に不安になるんだな、と。

一度バサッと「期待されてるだろう自分」という思い込みを捨ててしまったら、

なんかもういいや、生かせていただいているだけでOKと、実感を伴って思えるようになりました。

だから今は、本当に精神が安定しています。

 

平成の終わりだからというわけではないけれど、自分が生まれ育った時代の節目に、納得する自分でいられることに感謝です。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました(*‘ω‘ *)

 

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