自分も公共のマナーに関しては出来ていないことばかりなので、
完全に自分のことは棚に上げて記事にするのですが、
前からどーしても
「子どもに何か食べさせながらベビーカー移動(主に駅や電車)している人」
が気になってしまいます。
時にお菓子、
時におにぎり、
時にパン。
主に見かけるのは
駅構内や、駅周辺なので、
「家で食べてくれなくて、間に合わなくて」とか
「電車移動のときに大人しくしていてほしいから」
といった理由があるのかもしれませんが、
どうしても違和感というか、
食べながらベビーカーに乗ってる子って一際目立つんですよね。
必須移動手段が、馬車化
ベビーカーは、1歳過ぎると特に必需品になってきます。
抱っこするには重たい。
でもずっと歩かせるには不安すぎる。
だからベビーカーは、私たち親子にとって、共に必須の移動手段です。
言わば1、2歳児にとってそれは「足」。
でも、その移動手段の上で、
お菓子の袋から、ご丁寧に自分で出して食べてる姿を見ると、一気に「乗り物感」が出てくるというか、、。
オーバーに表現すると、
京都の観光用人力車みたいな感じ。
乗ってる人は周りをキョロキョロと観光しながら、好きなことをして優雅に過ごす。
駅や電車内で物を食べる人
とはいえ、人は人、人の子は人の子。
なのにどうして私は気になってしまうんだろう、と頭をグルグルさせていましたが、
よくよく考えたら、昔から電車内で食事する人や、公共の道で(屋台街ではない)、歩きながら食べる人が、あまり好きではありませんでした。
2年前、通勤中の満員電車の中で、
くっちゃくっちゃ音を立てながら
ビニール袋に入ったご飯を手づかみで食べてるサラリーマンの方がいて、
たまたま隣の席になってしまい、とても気持ちが悪かったです。
まだまだ長い車中、どうしよう、
と思っていたら、
反対隣にいた女子高生が、不快そうに席を立ったのを見て(降りないのに)
あー、もうこれは。
悪いけど、わかって貰おう、と思い、あからさまに続いて席を立ちました。
上記のクチャ男と、ベビーカーで食べてる赤ちゃんを一緒にしてしまうのは、赤ちゃんに気の毒ですが、
基本は同じだと思います。
やっぱり「食べる行為」ってプライベートな部分を含んでいて、しかるべき場所で行われるものなんじゃないのかな、と…。
ベビーカーは、なくてはならない移動手段であり、「食べながら移動できる乗り物」ではないはず。
自分がそうだった
何かに嫌悪感を持つときって、同族嫌悪的な要素を含んでたりします。
ええ、そうです、私がそうだったんですーー!( ;∀;)
ここまで批判しておいて、本当恥ずかしいですよね。
電車内で食べた経験はありませんが、通勤路で「歩き食べ」をしていました。
一時期わたし、ファミチキにめちゃめちゃハマってしまったときがあったんです。
仕事でのストレスと疲れと緊張を抱えながらの帰り道。
おなかも空いています。
そんな時、帰りにフラッと寄ったコンビニでファミチキを買ったのが始まりで
我慢できず道中で食べたら、空腹が満たされて
おなかが膨れることで、一時的に癒されたような感覚になりました。
暗闇の中で、ファミチキを食べながら歩く女。
当時は何も思わず、(羞恥心は残っていたので、人とすれ違いそうになったら隠していた笑)
やっていましたが、今こうして書いてみると、めちゃめちゃシュールな画です。笑
懐中電灯でも当てられたら、
ファミチキの妖精ならぬ、ファミチキの妖怪だったでしょう。ああああ・・・
習慣は恐ろしい
でもやめられなかったんです。
ファミチキが時にアイスになり、菓子パンになり…。
イライラや退屈や、フラストレーションを紛らわせてくれる「食べ物」。
手っ取り早く、自分を癒してくれる「オイシイモノ」。
口を開けば溢れてくる愚痴や不安を、物を押し込むことで、フタをしていました。
でもこれって、子どもにも言えることだな、と思います。
うちの息子のパンくんも、食べるの大好きっ子なので、大好物をあげておけば大人しくしてくれます。
大好物をあげれば、気持ちを切り替えてくれます。
だからこそ、きっと、食べ物に頼っていたら、ずっと頼りっぱなしだっただろうなとも思います。
手っ取り早く、幸福感をくれるものって依存性高いんでしょうね…タバコ然り。お酒然り。
私は「仕事帰りの歩き食べ」をなかなかやめられませんでした……(>_<)
「ベビーカーで物を食べる子どもたち」が気になってしまうのは、
気持ちを紛らわすために、食べ物に依存していた自分を思い出すから、
自分のようになってほしくないから、という思いが大きいからなのだと思います。
「本当に求めていたもの」は、ファミチキではなかった。
そんな若かりし頃の、ファミチキを食べながらの帰り道。
「今日もお仕事よくがんばったね」
「クレーム対応おつかれさま、あんな言葉言われたら傷つくのも仕方ないよ」
「大丈夫大丈夫、明日には状況変わってるかもしれないよ」
「そんなことよりほら、見て見て、あの街灯ステキだね。」
私が何を言わずとも、そんな風に言ってくれる人がいたら。そんな天の声があったら。
私は甘辛くて美味しいファミチキを胃袋に押し込まなくとも、
周りの景色を見ながら、ゆったりとした気持ちで帰れていたかもしれません。
そういう思いもあって、私はカナリ頻繁にパンくんと「会話」しながらベビーカーを押しています。
電車いっちゃったね、ワンワンいたね、カラスカーカー言ってるね、今日は人が多いね、あそこに保育園の子たちいるよetc.......
混雑した駅構内や電車内をベビーカーで移動するのは、
親自身もストレスフルだし、子どもにはできるだけ大人しくしていてほしいもの。
ベビーカーで食べさせながら移動している親御さんの心中は
「おなかすかせていたら、可哀想」という子を思う気持ちだったり
「電車でうるさくして、周りの方のご迷惑になったら…」という、別な面でのマナーに気を使っている優しい人なのかもしれません。
今日、駅のホームへ下るエレベーターを待っていたとき、前に並んでいたベビーカーの親子が
「いい子にしていたら、また電車乗るときにあげるね。いい子にしていたら、だよ。」と飴玉をあげているのを見て、
「いい子にしていたら飴あげる」ってどうなんだろう。。。と、つい思ってしまい記事にしてしまいました。
電車の中で我が子に大人しくしていてほしい気持ちもめちゃめちゃ分かるからこそ余計に。(そういえば今日パンくんが、車内で1回ギャーと叫んだ時に、思いっきり白い目で見られて心折れかけました(;_:))
難しいことですが、子どもの口の中よりも、「退屈だよ」と泣く子どもに甘い(優しい)世の中になってほしいなー
なんて思ってしまうのでした。(>_<)
えらそーな記事を、最後まで読んでいただきありがとうございます。
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