我が子に対する期待や願い、全く無かったのだけれど・・・

どんな子になってほしいですか?

どういう教育したい、とかありますか?

 

というようなことを

何人かの知人に聞かれることがこの1年間で何回かありました。

 

でも、

「~~な子になってほしい」という願いが私には全くなくて

 

それはひとつに

hayabusacoffee.hatenablog.com

 パンくんが

出産時トラブルがあったことが起因しています。

 

パンくんが生まれる1分前まで

すべて順調すぎるほど順調だった

私の妊婦ライフ。(分娩時間は47時間と長丁場過ぎたのは想定外でしたが)

生まれた瞬間に、思っていた出産と異なる状況にショックを受けて

 

そのショックを未だに引きずっているところがあり

「ただただ健康に生きてくれていれば良い」

という気持ちがあります。

 

 

そして

もうひとつの理由として

私自身、かなり自分のことしか考えていない性格なので

自分の願いを息子に託す、とか

自分にできなかったから、息子にはかなえさせてあげたい、とか

そういう気持ちがほぼほぼ無いんです。

 

自分の願いは自分が叶えたい。

自分にできなかったことは、自分ができるようになりたい。

 

 

 

 

今現在の悩みだって

パンくんを育てながら

パンくんの将来に関する心配よりも

自分の仕事やキャリアに関する心配ばかりです。

 

 

 

なので、

子どもに期待しなさすぎる

願いを持たなすぎるところがありました。

 

 

 

以前の自分なら

そういう育児がしたい(子どもに期待を押しつけない、子どもは親の願いの代替品ではない)と思って

「~~~~な子になってほしい」という願いは持たずにきたのですが

 

 

 

だいぶ理解力や

コミュニケーション能力が高まってきたパンくんを見ていると

「この先、怒らなきゃいけないときはくるわけで

どういう状況なとき怒る・諭すのか?自分の中に軸がないといけないよなぁ」

 

と考えていました。

 

 

 

 

 

子どもに期待しない

願いを押し付けない

 

 

それを良いこととしてきましたが、

これから先「躾」をしなきゃいけないとなったときに

自分がどういう子を育てたいか?という軸が無ければ

怒るときや褒めるときに一貫性がないなぁと感じました。

 

 

たとえば、

「好奇心旺盛に、貪欲に、物事を探求する子になってほしい」

と願いを持つ場合と

「人を思いやる、優しい子になってほしい」

と願いを持つ場合とでは

 

躾においても対応が異なってくると思うのです。

 

 

電車で、座席に立って、窓から見える景色に興奮している我が子。

好奇心旺盛な子に育てたいという思いがあったら、周りの視線は気にせず、電車が混んでなければそのまま放置するでしょう。

 

周りの人を思いやれる子になってほしいという思いがあったら、「電車はみんなが乗るところだから、静かにすごそうね」と言っているでしょう。

 

 

 

子どもに期待しない

過度に願いを持たない

 

という気持ちは今でも変わりありませんが、

これからパンくんにいろんなことを親として教えていくことを考えると

自分の中に軸があったほうが

そのときそのときで判断を迫られる状況でも

判断が下しやすいのかな、と思いました。

 

 

 

 

何を軸にする?どんな子になってほしい??

 

 

考えてみました。

 

 

 

 

 

その前に前置きとして

ちょっと話がそれるのですが

「人間の心を変えるのは何か?」

という話をさせてください。

 

よく「人はそう簡単に変わらない」

「他人を変えるのは難しい、自分を変えるべき」というセリフを聞きます。

 

 

私も

なかなか自分の性格は変えられないなぁと思うし

中学のころから抱えてきたコンプレックスを未だに抱えていることを思うと

「本当に人って変わらんなー」と思います。

 

 

それでも

人の考え方を根本から変えるものも、存在すると思います。

 

 

 

1、いじめ

2、恋愛

3、大切な人の死

 

 

 

人生経験ペーペーな、私の思う

人を変える物事3選。笑

1のいじめに関しては、虐待や裏切り、暴力など、1対1の関係で起こるいじめも含みます。

 

 

どうしてそう思ったのかは

また次の機会に回しますが

 

 

 

私はこの3つをほとんど経験していません。

恋愛もしてきていますが、自分の心を変えるような、身を焦がすまでに人を愛した経験や、壮絶な失恋などの経験はありません。

 

だからこそ、

生きることや、働くことに関しても

大したことのない考えしかできないんだと思います。

深みがないというか。(あれ?急にネガティブモードになったぞ笑)

 

 

 

でも、「ほとんど」と書いたのは

ちょっとだけ経験していることがあったからです。

1、のイジメ。

 

 

 

小学生のときに起きた、たった2ヶ月間の「いじめ」経験が

いまでも自分の人格を形成しているなぁと思うことは多いです。

 

 

たった2ヶ月間だったけれど

ほとんどの女子からの無視と

悪口が大量にかかれた手紙を、女子が整列して笑顔で私に渡してきた映像は

今でも鮮明に覚えています。

 

 

大人になってから

ある人のメッセージを読んで

心の奥底にしまっていた、小学生の頃の自分が少し癒されました。

 

いじめられている君へ

 

広い海へ出てみよう

東京海洋大客員助教授・さかなクン

 

 中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。
 でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。

 広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。

 中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。

 ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。

 

朝日新聞2006年12月2日掲載)

 

 

私はこの、さかなくんのメッセージが大好きです。

 

でも

これをもし

小学生のころの自分が読んだとしても

心が理解していたかはわかりません。

 

 

でもいじめられていたときに

何か自分に一つでも

信じられるものとか、好きなこととか、

自分を裏切らないものとか、夢中になれるものがあったら

 

きっと、もうすこし強くいられたように思います。

 

 

小学生のとき、私には

これ!というものは無かったけれど

当時の自分を助けてくれたのは

図書館とインターネットでした。

 

 

1人でいても浮かない

1人でいても安心できる図書館に、休み時間は逃げるように居ました。

 

我が家には、親の仕事の関係で早くからパソコンがあったので

インターネットやHP、コミュニティサイトの存在を

小4のころから知っていました。

 

 

「リアルの世界に友達はいなくても、ネットには友達がいる」

そこまでは思えませんでしたが、笑

 

小4のころからHPを作ったり、アニメーションをつくることで

表現の場が学校以外にもあったことは、私にとって幸運でした。

 

 

あ、ちょっと脱線しますが

「夢里村」知ってる方います?(かなり昔の、いまでゆうSNS)(´・ω・`)♡

 

 

 

 

 

そんなわけで

パンくんに対する願いとして

「何か一つでいいから、自分が夢中になれるものを見つけてほしい」

という気持ちが出てきました。

 

きっとそれがあれば、強くいられるんじゃないかなぁ。。。

自分がそんなに無いのでわかりませんが。

 

 

ちなみにパンくんが

ここ数ヶ月ずっと夢中になってるものは

「電気」です。

上ばかりを見ているパンくんです。向上心が高いようです。

 

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f:id:hayabusacoffee:20160917095237j:plainハーイができるようになりました。

寝巻き×男前スタイ・・・・笑