受容と共感の魔法のことば「痛いの痛いの飛んでけー!」は子どもにも大人にも必要。

育児観の話になるのですが、

私「いたいの、いたいの、とんでけー!」の魔法の言葉を

とてもとても重宝しています。

「いたいのいたいのとんでけ」って、、本当にすごい言葉なんです…!

(昔の人はすごいなぁ、、と思いながらさっき語源を調べたんですけど、『痛いの痛いの飛んでけー』自体を始めて使ったのは『8時だヨ!全員集合!』でのドリフターズのコントらしいですよ)

 

パンくんが転んだ時、頭ぶつけたとき

ふええ(;_:)って顔をしたら、泣く泣かない関係なしに

「ころんじゃったね、痛かったね」

「どこぶつけた?」

と聞いた後、

ぶつけたところを触って、

「いたいの、いたいの、とんでけぇぇぇえええええええ!」

とすんごい大げさにやっています。

たまに、大げさにやりすぎて(あれ、私『良いママ』アピールしすぎじゃない!?と恥ずかしくなるときもある。笑)

 

 

最初は、

「それが一番ラクだから」という理由でやってたんです。

  • パンくんがスッキリした顔になる
  • パンくんが自分で「いたくなくなった!」と切り替えられる
  • 泣きが、後に尾を引かない
  • 効き目が効果抜群すぎる(そこらの絆創膏より)

ですが、

最近、改めて

「痛いの、痛いの、飛んでけー!」

ってすっごく良いものだなーと改めて考えることができました(*'ω'*)

 

先日買った児童心理の本に「痛いの痛いの飛んでいけ」が書いてあった

それを細かく分析してくださっている本に出会いました。 

 

子どもの「いや」に困ったとき読む本

子どもの「いや」に困ったとき読む本

 

 

縁あって、私は何回かこの著者の大河原美以さんの講演を聞きにいっているのですが

大河原美以さんの講演には、

講演中よく出てくるエピソード(事例)があります。

この本にも出てきました。

 

子ども3人組がキャッキャ走り回って遊んでいて

ママさん3人組が後ろから見守っているという、よくある風景‥

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走り回っている子ども達。

すると、1人の男の子がズッデーーーーン!!と派手に転びます

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転んだ瞬間を見ていた、その男の子のお母さんはすかさず叫びます。

「痛くない!!!!」

男の子は、転んだ衝撃で、びっくりしていましたが

泣くことなくスクッと立って何もなかったかのように遊びに戻りました。

それを見て男の子のお母さんはもう一度言います。

「えらい!!!!」

泣かずに、たくましく自分で立ち上がり、遊びに戻ることのできた息子を見て

お母さんは少しホッとしつつ少し満足そうにしています。

 

 

いかにもありそうな光景ですよね…

私もやりそうです。

泣かずに、自分で立ち上がった男の子は

とても自立的だし「おりこうだな」と思いそうです。

 

 

けれど、この風景には

 

実際はあったはずなのに、

「なかったかのようにされてしまった」ものがあります。

 

それは男の子の「痛かった」気持ち

 

ついつい、
私たち母は
子どもが転んだ瞬間に、息子がギャー―――――!!!と泣く姿を瞬時に予想して
「痛くない!大丈夫だよ!!!!」と声を上げたくなってしまう。
一度泣いたらめんどくさいのは知っているから
先回り先回りしてしまいますよね。
なんなら、泣きだす前に抱き上げちゃったりしちゃう。

そして口をへの字に曲げて、こっちを見る子どもに

「泣かないでエライね!さすがお兄さんだね!」

とか言ってしまいそう。

 

 

でも赤ちゃん期が過ぎても「泣く」ことはとても大切で

「ちゃんと泣ける子」であることは

すごく大切なんだよってことも、大河原さんは言っています。↓

 この本のサブタイトルはあんまり好きじゃないんだけど…「義務」はプレッシャー与えすぎ

ちゃんと泣ける子に育てよう 親には子どもの感情を育てる義務がある

ちゃんと泣ける子に育てよう 親には子どもの感情を育てる義務がある

 

 

 

大河原さんの本には、

「痛い、怖い、嫌だ、という気持ちを、しかるべき時期に受け止めてあげないと、自分の感情がわからない子、人の痛みが分からない子になってしまいますよ」

ということと

 

「受け止めることは、わがままを聞くことではなく、

気持ちを承認してあげる、ということですよ」

 

「気持ちを承認してあげる」というと難しいことのように思うけれど

「痛いの痛いの飛んでけー!」でいいんです!

ということも書かれていました(*'ω'*)

 

 

痛いの痛いの飛んでけー!は受容と承認の言葉

いたかった(;_:)うわぁぁああああああん。。。

の裏には

物理的に「痛かった」だけでなく

 

転んで恥ずかしかった、怖かった、

目指していたものに到達できなくて、

嫌だった、悲しかった

という精神的な「いたかった」がたくさんあって

 

誰かに「いたかったね」「びっくりしたね」と言ってもらって

初めて、

安心して、泣く子もいます。

 

「痛いの痛いの飛んでいけー!」には

  • 痛かったことへの共感、
  • 自分の気持ちを聞いてもらえた安心感、受容、承認
  • 痛かった部分へのスキンシップ
  • 痛みを、一生懸命取ろうとしてくれる存在(保護者)がいることの確認

 

など、いいことがいっぱい詰まっているんです。

 

良い母にはなれないけど、この呪文だけならできる

私は、だめなところが多い母親なんですけども

「痛いの痛いの飛んでけー」だけは

自分ルールというか、

ここぞとばかりに「しゃしゃり出よう!」と決めています。

普段「あ、それはお父さんにやってもらってー!」と、サボることが多いけれど

ここは、サボんないぞ、と。

 

そうやっていたら、

良い母親じゃなくても「わたし良い母親っぽいぞ」と自分にも思えるし

息子のパンくんが泣き顔から徐々に笑顔になっていく表情の変化とか堪らず可愛くて。

 

「痛いの痛いの飛んでけー!」は

皆!得!な呪文だなぁと思います!

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私たち大人にも大事な呪文

そしてこの

「痛いの痛いの飛んでけー!」って

大人になってからもめちゃめちゃ重要ですよね。忘れがちだけど…。

 

「みんな通ってきた道だから」

「私よりもっと大変な人はいるから」

「楽しめずに、痛い(ツライ)と思う自分が嫌だ」

 

とか言って、自分の「痛かった気持ち」を

まるで、なかったかのようにごまかしてませんか?

 

ずっこけて痛かった気持ちは

交通事故の痛みに比べたら、痛みは少ないかもしれないけれど

でも実際「痛かった」は痛かったですからね。

なかったことにしちゃいけないし

 

「痛いの痛いの飛んでけー!」を自分自身にやってあげたいな…。

 

出産で傷んだ心に、「痛いの痛いの飛んでいけー!」

実は、ついこの間、生後4ヶ月の友人に会ってきたのですが

会う少し前に、彼女も子どもを新生児仮死で出産したことを聞きました。

私もパンくんを難産×新生児仮死で出産しています。

(過去記事生後6か月。できるようになったこと、そして新生児仮死で生まれた君へ。

 

最初は、自分も経験したことだったから

彼女を「辛かったね」と慰める気持ちで聞いていたのですが

「辛かったね」

「大変だったね」

「今も完全には不安を拭えないよね」

と言いながら、自分自身が癒えていく感覚になりました。

 

守るべき存在が産まれると

どうしても、自分の気持ちは後回し!がんばらなきゃ!!

となるけれど

 

子どもにも、大人にも

「痛いの痛いの飛んでけー!!」

していきたいです…!

 

人にやさしく~。自分に優しく~~。(*'ω'*)

 人にやさしく~。自分に優しく~( ´ω`)

 

大河原美以さんの本はどちらもおすすめです。心理学や脳の話と絡めつつも、実例をたくさんあげているのでとても読みやすいです。 

子どもの「いや」に困ったとき読む本

子どもの「いや」に困ったとき読む本

 

  

ちゃんと泣ける子に育てよう 親には子どもの感情を育てる義務がある

ちゃんと泣ける子に育てよう 親には子どもの感情を育てる義務がある