夫の仕事が、もう少ししたらひと段落しようとしているので、
「お疲れ様会どうしようか」と聞いてみた。
つまり家庭内打ち上げのことである。
夫の仕事は個人事業的な感じなので
プロジェクトが終わっても
チームで打ち上げ!とかがないので
家庭で「かんぱーい!」なり
外食なりをしている。
なので
今回もお疲れ様会と称した
ちょっとだけ贅沢な外食を「どこでする?」となったのだけれど
(ビュッフェとか、お寿司屋さんとか)
「マキロはどうしたい?」
と聞かれて、即答どころか
しばらく考えてもぜんっぜん「行きたいお店」の案が出てこなかったのだ。
ちなみに私は大の外食好きなので
本当ならポンポン候補が出てくるはずだった…!
なのに出てこなかった。
気づいたら色んな制限を抱えている
「好きなお店でいいよ」
「行きたいお店でいいよ」
と、一見自由に選べそうな場面でも
染み付いた
- 子連れで行けるところ
- 子連れでもストレスなく食べられるところ
- 家族全員が食べられるもの
- 移動手段や移動距離が楽な場所
- お酒が無くても楽しめる
- 時間は昼、もしくは早めの夜ごはん
といった制限が、
頭の中を占拠してる。
その制限たちを
一個一個丁寧に外していくと
私の「行きたい飲食店」って
- 静かな個人経営のカフェバー
とか
- お酒を飲みながらつまみを楽しむ店
とか
- ビルの高層階とかの景観がステキなお店
とかだったりする。
「子育てしている自分」が行けないお店ばかり。
今がイレギュラーな時間だという自覚
それに気づいたときに
「行きたい飲食店が即答できない」自分も
「やりたいことがない」自分も
「どんな仕事をしたいのかわからない」自分も
欲求や野心が薄いのではなく
全て
“今、イレギュラーな状態だから”
と思うべきだな、と思った。
乳児幼児の子育てをしている時期は
ある限られた期間。
一人では何もできない赤ちゃん抱えていたら
自分の行動に制限かかりまくりなわけで
制限かかっている状態が
ず~~~~~っと毎日続いていると
それが当たり前になって
制限が外れた状態が
もはや思い出せなくなってくる。
「今はできないこと」の中に
行きたい店や、やりたいこと、叶えたい夢が潜んでいたとしても
気づけなくて
「自分の欲」とか
「こうしたい」
「ああしてみたい」が
どんどんどんどん埋もれて見えなくなっていく。
見えなければ見えないほど
育児はやりすいから(我慢しなくてすむから)
みんな率先して埋めていくよね。
名前を取り戻す
でもそれは別に不幸なことじゃなくて
制限を当たり前に受け入れるほどに
幸せなことが育児にはたくさんある。
だから「何も持たぬ自分の欲」は
率先して埋めていくのだけれど
千と千尋の神隠しみたいに
今いる世界に全部溶けないで
たまに
元々持っていた名前を、
元々もっていた
「何も持たぬ自分の欲」を思い出してみたいな、と思った。
結婚前に、出産前に、
夫と結婚する前の自分や
出産する前の自分に戻って
自分にとって究極の
「~~したい!」を今思い出してみると
あっつい、かけ流しの温泉に
1人でボーっと浸かって
湯上りにビールジョッキで飲みたいな~
とか
1人登山またしたいな…とか
あ、わたしって
わたしって
そういう人間だった、、
と思い出す。
何度も登っている長野県の燕岳。
たまに名前を思い出してみると
本来の自分を取り戻した気分になるのでオススメ。
育児している自分が
本来の自分ではない、とは言わないのだけれど
たくさん我慢はしてるよね…
今日もみなさんお疲れ様です。
ここまでお読みいただきありがとうございました(*‘ω‘ *)