久しぶりに小説を読みました。
珍しく息子のパンくんが「ご本のところに行きたい」と言ったので本屋に出かけたのです。パンくんは「めばえ 9月号」を購入。
付録の『ドーナツやさんごっこ』で毎日遊んでます。笑
湊かなえ「ポイズンドーター・ホーリーマザー」を読む。
私は、小説に関しては特定の著者しか読まず
80% 東野圭吾
10% 湊かなえ
10% 辻村深月
という偏った読者なので大きな声は出せないのですが
湊かなえ「ポイズンドーター・ホーリーマザー」
すごく良かった( ;∀;)!!!!
いや、小説としてどうか?
文学的にどうか?と言われると、私はよーわかんないのですが
この小説、
短編集になっていて、全部で6つの物語で構成されているのですが
6つの物語の中に6人以上の『毒親』が出てくるのです。
そんでもって、その毒親の程度が絶妙。
身体的な虐待とか育児放棄とかをする、犯罪レベルの親は出てこないんです。
警察が捕まえてくれない毒親たち。
見る角度が異なると、「聖母のような」毒親たち。
絶妙ゆえに、私みたいにグルグル考えたい系人間にとっては「考えるためのテーマ」をガツンガツン与えてくれる小説でした。
この小説の全体から発するメッセージって
終始
「毒親って何?」
「娘として、自立して生きていくって、何?」
ということ。
程度が絶妙すぎて、
ある人から見たら「娘想いで、素敵なお母さんじゃない、そんなに娘のこと考えてくれるお母さん、大切にしなきゃね」と言われ、苦しんでいるのは本人だけという状態。
段々娘自身もわからなくなっていて、親に認められることを何よりも大切にする人生を歩もうとする。
現実世界にこういう親たくさんいそう、と思うし、
実際「あ、友達でこういう親いたし、親が気に入ってくれないというのを理由に婚約破棄した友達も確かにいた…」と思い出す友人もいました。
しかし、いわゆる「毒親」をなじるだけの小説やエッセイと異なり
親の目線、親子を見つめる他人の目線も出てくるんです。
何が毒親で
何が毒娘で
どこまでが自分の責任で
どこまでを親のせいにして逃げてもいいのか?
グワングワンと頭を揺さぶられます。
さすが湊かなえ、容赦ないです。
後味が悪いのが湊かなえ、
純粋な善人が出てこないのが湊かなえ、
誰も救われないのが湊かなえ。笑
(言い過ぎましたが本当にスゴイ作家だなぁと思っています)
本当に本当に毒親に悩んでいる人は読まない方がいいかもしれない。
以前も紹介しましたが、田房永子さんの「母がしんどい」の方が、毒親の悩みを笑いに変えて消化しようとしているエッセイなので、「ポイズンドーター・ホーリーマザー」より断然ライトです。
じゃぁ誰に読んでほしいかというと
「毒親」という名前を聞いたことはあるけれど、「毒親」に苦しめられてきていない人。これから親になる人。親な人。特に女の子の親。(男の子も出てきますが、母娘の話がほとんどです。)
優越感を抱える読者、それを許さない
このポイズンドーター・ホーリーマザーはWOWOWでドラマ化することが決定しているのですが、その脚本家、清水友佳子さんが小説の『あとがき』を担当しています。そこにあったこの言葉がとても印象的でした。
数ある小説の中には、登場人物を愚かに描くことで読者に優越感を与えようとするものもあるが、湊さんの作品はそれを許さない。
読み手自身にも心当たりのある描写をちりばめて「この人物はあなたでもある」と突きつけ、動揺する読み手の心に追い打ちをかける。
愚かな「毒親」
可哀想な「娘」
を登場させて、それを外野から眺める読者に優越感を持たせることを許さない。
「読み手の心に追い打ちをかける」
まさにそうでした。
人生上手くいかない理由を親のせいにしてるんじゃないの
私の心に追い打ちをかけてきたのはコレ。
「自分の人生が上手くいかないのを親のせいにしてるんじゃないの?」
最近「毒親」にまつわる本が沢山出てきて、
そのほとんどは『娘目線の苦悩をつづった話』。
けれど本作品は、娘目線だけでなく母親サイドもちゃんと描いている。短編集なのでネタバレにはならないと思うので紹介しますが、ある一つのお話で
「人生が上手く行かないと感じる時だけ母親のせいにして、苦しんでいるフリをして、ダメな原因はすべて自分の外にあるのだと思っている」
という語りがある。
実際私自身も、仕事について悩んでいたときに
「仕事が上手くいかない」
「仕事のことを好きになれない」
「でも辞められない」
その原因を
辞めることに反対する両親や夫のせいにしていたところがあったと思う。
夫が反対するから、親が反対するから、親が「人のためになる仕事に就いてほしい」と幼少期から言っていたから、怖い大姑が「素晴らしい職業に就いている、その仕事の就いているというだけであなたは素晴らしい」と褒めるから…。etc...
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でも、昔の自分に、声を大にして言いたいのは自分で決めろよ、ということ。親が何を願っていようと決めるのは自分、仕事をするのも自分。「この職業に就かなきゃ絶縁する」と言われたわけじゃない、むしろ強制なんかまったくされていない。
ただ、他に何も見つからない自分が苦しくて、嫌いで、それを「辞めることに反対する親と夫」のせいにしていた。
「毒親」に関して、ツライ、シンドイ、クルシイと苦しみの渦中にいる人がいる一方で、自分の人生を取り戻そうと必死に自分と向き合っている人もいる。『毒親に育てられたあなた可哀想ね』『こんな毒親がいるのよ!』では全く終わらせてくれない
ポイズンドーター・ホーリーマザー。後味は悪いけれど、たくさんの思考のお土産をくれました。
私の考える『毒親』
自分と子どもが、考え方も、生活も、好みも、生まれた時代も異なる『別の人間である』ということが受け入れられず、無意識レベルで『自分の思い通りにしようとする』親
のことを私は毒親だと思っている。
- 「~でなければならない」
- 「うちの子が~~~な訳が無い」
- 「どうしてなの?私の育て方が悪かったの?」
- 「あなたのために、私はこんなに沢山のことをしてきたのに。」
「毒」親になりたくてなっている訳でない。
簡潔に言うなら「歪んだ愛」。
私はまだ男の子しか産んでないけど
女の子育てるってどんな感じなんだろうな。
いっそ、自分と性格全然異なる気質の子のほうが、割り切れるのだろうか。
もし今後女の子が生まれて
- 図書館で読書するような女の子で(私)
- いじめられる可能性がある女の子で(私)
- 一見真面目なのに裏で好奇心旺盛な危ういところがあって(私)
- 期待に応えようと努力できるタイプ(私)
だった場合、自分を投影して、期待したり、コントロールしたくなっちゃうのかな?なりそう。。。。
まとめ
私は「毒親」を知らないし
身近にはいない。
だからここで紹介したポイズンドーター・ホーリーマザーは、本当に毒親に苦しんでいる人にとっては酷な小説になるかもしれないということは一応申し上げておきます。けれど、最近取り上げられることの多い「毒親」について
「何が毒親なのか」
「自立とは何か」
「自分の人生を生きるとは何か」
を深く考えるヒントをくれる小説でした。
久しぶりに小説ブームがきそう…!!
東野圭吾さん、湊かなえさん、辻村深月さんが好きな方、この人もオススメだよーっていうのがあったら是非是非教えてください!
「ポイズンドーター・ホーリーマザー」が実写化されるWOWOW について書いた記事はこちら↓(快適に利用しています…!)