本当の「安定」とは何か。乳児育児時代と激務ワーママ時代と現在の精神的余裕を考える。

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息子のパンくんが2歳になったあたりから

あれ?「パンくんの2歳カワイイぞ…」と思い始めて

3歳になり、沢山話せるようになってくると、もはや可愛さしか感じなくなり、3歳半現在、「本当にパンくんは可愛いね」と一日に何度も言うくらい溺愛っぷりです。

 

「子どもの可愛さ」を周りに公言するのが、あまり、し慣れなくって、『はぁ~本当可愛い。。』というのを胸に秘めています。もっとドンドン言ってもいいのかもしれないけれど、胸に秘めてるくらいが私には丁度いいのかなと思ったり。

 

可愛いと思える理由は、余裕?

子どもを心の底から「可愛い」と思える瞬間が倍増、どころか急激に上昇した感がここ数カ月ありました。

 

最初は、その理由を

  • しゃべれるようになってきて会話できるから更に可愛い
  • 怒る、泣くの理由がちゃんとわかるから面白可愛い
  • やりとりがウケるから可愛い

とか、成長によるものだと思っていたのですが

もちろんそれもとても大きいんだと思うんですが

 

何より私自身の心の余裕が、以前のそれと比較できぬほど大きくなった、その影響が大きいと思います。

 

新生児~乳児育児は「初めて」「未知」に対する余裕の無さ

新生児~乳児の頃は、授乳の悩みから始まり、さまざまな「初めて」に対する不安でいっぱいでした。ついでに女性ホルモン的な意味のわからないイライラガルガル期も、普段あまり「怒り」が沸きづらい私にとってはとてもキツかった。

 

努力すれば結果の出る「勉強」に比べ

周りと上手くコミュニケーション取れれば円滑にまわる「仕事」に比べ

「育児」は理不尽の連続であり

その割に対価や賃金は無く、社会的に評価されにくく

支えてくれるメンター的存在も不在。

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 可愛いことは可愛い、赤ちゃんは可愛い、うん可愛い、と思う。

「あぁパンくん可愛いなぁ」と日中、母子2人きりのときに思うと、「可愛い♡」と思ってるのに、セットとなっていつも孤独感がニョキニョキと出てきていました。

 

「今ならその孤独も楽しめる気がする」と少し思えるのは

圧倒的に『自信』と『見通しがもてる』ゆえだと思う。

見通し、は大事だな。

 

ワーママ時代は自分自身が全く満たされていなかった。

保育園に入園してから、「去年と今年は裏表」ってなぐらい

生活が激変しました。

 

朝5時に起きて、家族の支度して6時半には家を出て

電車を乗り継ぎ、チャリをガ―ガ―漕いで

座る暇なく仕事をして

時短で「スミマセンスミマセン」言いながら職場を飛び出し

チャリガ―ガ―漕いで、「これ逃したら延長保育」の電車に飛び乗り、乗り継ぎ、保育園まで小走りして

 

やっと息子の会えたときには「はぁ~可愛い~癒される~~~」ではなく

「ちゃんとベビーカーに乗ってくれるだろうか」

「夕飯何にするか全く考えてない、コンビニ寄りたい…」

とモヤモヤしながら

足早に家に帰り

 

ご飯の支度して、洗濯して

お風呂~寝かせつけ

一緒に寝落ちしてしまい

寝落ちから目覚めたあの最悪な気分の状態のまま

「意地でも好きなことしてやる!」とブログ書いたり本読んだり、ネットサーフィンしてたりしてました。

 

圧倒的な余裕の無さ。

 

今は、眠る前にパンくんとおしゃべりしたり

「寝れない~~~~~」と嘆くパンくんに「ゴロゴロしてればいいよ。お母さんずっといるから。」と心から余裕を持って言えるけれど

会社員ワーママの頃は「はよ寝てくれ…!」しか思ってなかったと思う。

 

朝6時半~夜21時まで「自分が満たされる時間」が皆無なまま寝かせつけに入って、子どもに心から付き合えるかって言ったら、まぁ私は無理でした。

仕事において、裁量権が大きかったり

仕事で「自分のやりたいように、自分の意志に従って」業務が出来ていたらまた違っていたのかな?

必須の会議にも出られず、私の仕事を他の人がやってくれたりと、「迷惑かけたくないのに迷惑かけている状態」が苦しかったです。

そして、迷惑かけてる感が強いため、組んでいる上司や同僚の「仕事の方針」に関して強い違和感があったときも、何も言えませんでした。従うのみ…。

 

疲れ切っていると、「可愛い」という感覚が鈍くなる

対「子ども」に限らず

激務フルタイムワーママ時代は、

  • ファッションにも無頓着
  • メイクも最低限
  • インテリアも関心なし

みたいな感じで、昔は好きだったものへの関心が乏しくなりました。

単純に「なにこれ!可愛い♡」とか「これ素敵!!これが家にあったら、あそこがあーで♪」みたいな感受性や想像力センサーが全くわかなくなってしまったんです。

 

今思い返しても、フルタイム時代

「物を愛でる」とか「感動する」とかあったけ??全然思い出せない。

映画も「疲れる」という理由で、全く観ませんでした。

 

「可愛い」という感情は、余裕が無いと湧きにくいのだと思います。少なくとも私はそうでした。

 

今の働き方になり、「安定とは何か」を考えるようになる

私は現在、

前の仕事のアルバイト+個人事業主(主にネット仕事での収入)を仕事として生きています。ネットでの収入についてはこれから記事化していこうと思っています。

 

正直ネット仕事での収入はまだまだ発展途上だし、

我が家は財布が別々なため、お金はカツカツです。

フルタイムワーママの頃と同じ金額を家に入れているため、普通に不安定です。

 

激務フルタイムワーママの頃は

お金の安定と、お金の余裕は確実にありました。

肩書とか身分の保障もあるっちゃあったけど、「肩書」で得した実感はさほどなかったので、フルタイムワーママ時代の安定とは

まさに「お金の安定」

でした。

 

仕事を辞める前は「お金の安定」という幸せについて

しっかりと実感していなかったのですが、辞めてみて「お金の安定」の偉大さを心から実感しました。

毎月同じお金が手に入るってスゴイことだなと感じました。

 

けれど…。

 

安定とは、お金や身分の安定だけではない

それ以外は全く安定していなかったことに、辞めてから気づきました。

  • 次の勤務地がどこになるか?
  • 次の配属はどこになるのか?
  • 誰と組まされるのか?
  • どんな上司がやってくるのか?
  • 来年どのくらい忙しくなるのか?

どれも自分ではコントロールできず「安定」しているとは言えなかった。

 

特に、今振り返ると、一緒に組んでいた先輩とトコトン相性が悪かったと思っています。また、勤務地が遠すぎました(通勤時間1時間40分)

 

その当時は忙しすぎて自分の気持ちとしっかり向き合うことができなかったけれど、

今、前の仕事と同類の仕事を「アルバイト」という形態で就いていて、比べることでようやく気付くことができました。

  • 勤務場所を選べることの幸せ(今の勤務地は家からチャリで7分のところにしました。1時間40分だったのが7分に短縮。笑)
  • 正社員に比べて、柔軟に辞められる安心感
  • 仕事内容を知った上で応募するから、仕事内容は選べる

というメリットを感じています。

 

当時の自分は「アルバイトだから当たり前だろ」とか

「給料が全然違うから当たり前だろ」とか思っていたと思う。

「その幸せが無い代わりに、お給料いただいているんでしょう」と思っていたと思う。

 

けれどいざ自分がそういう勤務状態になったときに

「勤務地の自由」や「自分である程度選べること」がいかにストレスフリーで、精神状態が安定しているか、を知り

 

アルバイトより正社員の方が、的な思考の浅はかさに気づきました。

 

ずっと同じなわけではない。

今は「アルバイト」と「個人事業主」だけれど

【今現在の】

私と、息子、激務の夫との生活において、ベストな選択であっただけで

 

家庭の状態が変わったら、また同じ仕事に戻ってもいいし

転職してもいいし、調子が良ければ続けてもいい。

 

ずっと同じでなければいけないわけじゃないから

その時々の家庭や自分の状態に合わせて

柔軟に仕事を変えていく

という生き方…

「あ、これが今の私に合ってるな」と思えました。

 

一緒に住んでいる家族や、自分自身の両親等の理解があってこそだけど、

周りに感謝しながらバランスとって行きたいなと思っています。

 

 何が安定かなんてわからない。

今の状態が、今は安定していても、また不安定になってくかもしれない。

でも柔軟に変化させていける自分でありたいです。

大事なのは、変化を怖がらないことと、

自分の気持ちに素直になって、変化に慣れることだと実感しています。

 

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